本物のゴールを設定する鍵はスコトーマ(心理的盲点)とRASの攻略にある

どうも、Rikiya The Powerです。
今回は脳科学や心理学、自己啓発系の書籍でもよく目にする「スコトーマの原理」の基本と、ゴールの関係について掘り下げていこう!あなたも、思考法や自己啓発本などを読んだことがあれば、1度は出会っている言葉だろう。このスコトーマ(心理的盲点)は、元々ギリシャ語の盲点を意味する言葉で、眼科用語だ。心理学において「心理的盲点」と呼ばれるコイツは、大抵RAS(ラス)という言葉とセットで登場する。この2つは超重要概念なのに、実はあまりよく理解されていない印象を受ける。本記事では、ゴール設定と絡めて、この2つを解説したいと思う。

また、後半では過去に解説したエフィカシー等も登場する。基本構造を交えて解説しているので、復習になるとともに、より理解が深まることだろう。

そもそものRASの名前と役割、知ってる?

RASが登場するほとんどの本には「網様体賦活系」って名前で登場する。う〜ん「ぶっちゃけよく分からん」わな笑。で、多くの書籍では「RASは脳のフィルターの役割をしています」と書かれていることが多い。これ自体、間違えてる訳じゃないというか…確かにそう。そうなんだけど…足りなすぎる!あまりに味気ないよ!これだったら、のりたまの方がまだ味気あるね!下手なおかずよりよっぽどご飯が進むぜぇ!「沢山の情報の中から重要なことを取捨選択して、物事を認識させる」という趣旨まで書いてある本も多いんだけど、この説明を読んだとき、まさに重要な部分が抜けていると言わざるをえない。それは、「重要って、何を基準に判断してんの!?」だよね。

そもそもRASが何の略かっていうと”Reticular Activating System“なんだな。つまりRASってやつは、何かを「活性化(アクティベート)するためのシステム」ということ。覚醒状態を維持するという生活の上でも欠かせない機能があり、現在の関心事に関する物事が目に入りやすくなったり、耳に入ってきやすくしてくれる。また、目の前のものが危険がおよびそうなものかどうかも判断してくれたりするんだな。一方、活性化したがゆえに「見えなくなるもの」も存在する。それが、スコトーマに隠された「意識には上がってこないもの(その瞬間は重要度が低いもの)」だね。このロックオン・ロックアウトが1日中、異常な速度で行われている。

ここで、「見えている世界」についても触れておきたい。いきなりだが、あなたが見えている世界が、僕や、隣の誰かさんにも見えているとは限らない。というより、1人1人に見えている世界は全然違う。それまで蓄えてきた知識、経験、記憶、信念(思い込みや価値観、好き嫌いも含む)、現在の関心事などが組み合わさった、総合的なセルフイメージを通して「重要だ」と認識されたものでできているもの…それがあなたにとっての「世界」だ。

苫米地博士の言葉を借りると、あなたにとって見えている世界は「昨日までに重要だと認識したもの」で成り立っている。耳はイルカや蝙蝠に敵わず、鼻は犬に敵わず、かなり限られた範囲の可視光線の中で物を見ている我々人間には、ありのままの物理世界なんて認識できてるはずがない…というか最初から不可能なんだ。個人差によって少し解像度が高いとか低いとか、思考の抽象度の高低差による見え方の違いは当然あるけど、どこまでいっても「ありのままの全て」を認識することはできない。できるとしたら、そりゃお釈迦様くらいなもんさ笑。いずれにせよ、重要なことは「人それぞれに目の前に広がって見える世界は違う」ということ。で、それを専門用語では「内部表現」と呼ぶ。今見えている世界は、あなたの内側が作り出し、見たいものだけを見ている(…とは限らない場合もあるのだが、少なくとも歪めて見ている)ということだ。

スコトーマのせいで、「あるはずなのに見えなくなってるもの」と「ないはずなのに見えるもの」が数多く存在する。同時に、そのおかげで平常心を保って生きていける。そもそも、本当に全てのものを脳が認識し、意識に上がっていたら、人間なんてあっという間に餓死してしまう。人間の腸は袁人類の頃からあまり進化してないのに、脳は爆発的に進化してしまった。とてもじゃないが、脳が本気を出すにはエネルギーが足りない笑。だから脳は、手抜きすることを覚えたんだな。見た気になってるけど、実際には見ていないものも沢山ある(厳密には目には入ってるし、耳にも届いてはいるんだけど、ちゃんと認識してないものの方が圧倒的に多いってことね)。例えば今日、外ですれ違った人の中で、記憶に残っている人は何人いる?具体的に、どんな人たちだっただろうか。服装、持ち物の色、その人の様子は?で、今思い出そうとしたときに、頭に浮かんだ人が少なくとも1人〜数人いるのではないかと思う。同じ勤務先、同じ時間に、同じ電車に乗って出社してくる人がいたとしても、おそらくほとんど違う答えが返ってくるはずだ。仮にすごく目立つ人がいて、共通の話題になったとしても、印象に残ってる点を掘り下げてみたらお互いに見落としている点が出てくるだろう。

もう一つ例をあげる。
僕は車のGTRをはじめ、スーパーカーの部類が大好きだから、街中で見かけたらすぐ反応する。しかし、僕は元々車が好きだったわけじゃない。高校生になるまで、車はタイヤが4つ付いてて走ってればどれも同じだと思ってた。「ベンツは高いらしい」ってことくらいしか知らなかったと思う笑。だから、色が目立つ車が走ってれば一瞬目に留まるくらいだったろう。きっかけは高校2年生のとき、友人に誘われて行った東京ビッグサイトでのモーターショーだ。そこで目にしたスカイブルーの日産GTR-R34が僕の世界を変えてしまった。衝撃を受けた。それから、世界中に色んなスゲー車があることを知った。僕の身に起こった変化はこうだ。街中に走ってれば「うわ!GTRだ!」って気づく様になったわけだ。それまでも、GTRは僕の横を通過していたはずなのにね。

ちなみに今の車の例には重要な点がある。それは、僕がGTRを好きになった(=重要な情報とインプットされた)のは、外部による影響であるということ。誤解を恐れず言えば、僕の中で元々重要だったのではなく、誰かに重要だと認識させられたと言っても良い。これらを踏まえ、次章では「ゴール設定の大前提」と、「スコトーマ外しの基本」について解説する。

コイツらを味方につけないとマジで恐ろしいことになる…

過去記事で、ゴールは「例え止められてでも達成したいこと」と言ったことには、スコトーマとRASも関係している。
今あなたが「仕事が嫌で嫌で仕方ない」と思っているなら、すぐに離れた方が良いかもしれない。いや、現実にはすぐ辞める必要ないかもしれないけど…少なくとも、「会社にとっても、あなたにとっても、お客さんにとってもマイナスな状態である」という事実だけは知っておこう。

人間は、コンフォートゾーンにいない時(アンコンフォータブル、あるいはアウェイな状況)では、IQが下がる様にできている。本来の100%のパフォーマンスなんて発揮できないし、良くても指示通りのこと、沢山練習して叩き込んだことを再現することが精一杯なんだ。

ましてやエフィカシー(自分の能力に対する自己評価)が低い人の仕事に対するパフォーマンスってのは最悪だ。
例えば、普段はダメ社員として定評ある誰かさんが、社長や上司に役割を1つ任されたとしよう。普段は渋々仕事をする誰かさんだが、この時ばかりは「こんなこと、私にできる訳ない!」などと思ったとする。次に彼の脳が示す反応は、クリエイティブ・アヴォイダンス(Creative Avoidance, 創造的回避)だ。

普段は冴えない誰かさんが、「アレとコレと、そういうことなので、やらない方が良いと思います!」などと饒舌に力強く主張し始めたりする笑。理由は簡単で、彼のコンフォートゾーンからズレ過ぎてるから。ホメオスタシスが働き、元の「できない自分」というセルフイメージに戻そうとする訳だ。そのためなら、プレゼン当日に体調不良すら起こさせる。これぞまさに、創造性が逆向きに働くクリエイティブ・アヴォイダンスの恐ろしさだな。「そんだけポンポン意見が出るなら、普段からもっとその力を発揮してくれ笑」と言いたくなるだろうが…彼のエフィカシーが低く、セルフイメージにそぐわないものは、彼にとって危険とみなされたのだから仕方ない。普段成績の悪い人が、たまたま良い結果を出してしまったりすると、最後にはちゃんと今までの平均値に戻る様に、無意識で調整するんだ。「そんなバカな!」と思うでしょ?だから「恐ろしいことになる」って言ってるのさ。

これは、いかにエフィカシーやセルフイメージが大切かって話でもある。コーチングの最も重要な作業は「エフィカシーを上げること」だってことが、少し理解できたかな?。エフィカシーが低い状態のまま「本人にとってはムリそうな」目標のために頑張らせたところで、達成できないどころか余計に苦しむことになる。あげく「やっぱ自分にはできないんだ」などと、どんどんエフィカシーを下げてしまうことになりかねない。そんな「恐ろしい」状態を改めるための手取り早い方法は、「仮でも良いから」圧倒的に高くて、本人が心の底から達成したいゴールを設定することなんだ。心の底からやりたいことのために、「当然やること」は、全てやりたいことに含まれる。嫌だったはずのことが、スコトーマに隠れる仕組みがあるからだ。

で、ゴールは「現状の自分のままでは達成できないけど、心の底から達成したいもの」である理由は、スコトーマを外すためだ。少なくとも現状の自分が変わらないと達成できないから、すぐには達成方法が分からないことも多い。だけど、「それが達成するなら、少なくとも今これをしていて当然だ」の世界は見える。そのために行動を起こし、それが当たり前になってくると、「行動する前の自分には見えなかったもの」が見える様になってくる。つまり、スコトーマが外れて、ゴールに近づく方法が見えてくるって訳だ!。しかも、スコトーマが外れてきたことにより、本当のゴール(設定するまでの自分にとって、現状の外側のゴール)が見える様になってくる。スゴイでしょ笑?

数学の定期テストで9点をとった中学3年生、後にセンター数学で200点満点を獲得する。

ここで、先述までの話をまとめた例を紹介する。最も説明しやすい人物…それは僕だ笑。
中学生の頃の僕を知る人物なら、その多くが知っている事実…それは、僕が「数学が大の苦手であった」ということ。両親も、学生時代に最も苦手だった科目が数学である。今でも覚えているのが、中学3年生のときの定期テストの点数だ。内容は2次関数だった。僕がとった点数は、100点満点中「9点」だった。中3といえば受験生なわけで、学年でも僕よりできない人を探す方が難しい点数だったわな笑。しかしその後、20歳の時に受けたセンター試験(現 大学入学共通テスト)では、「数学I・A」「数学II・B」共に100点満点を叩き出した。その前年、19歳の夏に受けたTOEIC(英語のテスト)は720点だった。TOEICについては過去問などをを解いておらず、試験時間を事前に調べた程度のぶっつけ本番での点数だ。

※当時お世話になっていた方に、「今TOEICで700とれなかったら、一橋は諦めよう」と言われ、「じゃあ絶対とります!」と言って受けてみた結果だ。

これを読んだ読者のほとんどが、「メチャクチャ努力したんだな」と思ったかもしれないが、当時の僕は努力なんてほとんどしていない。少しずつ脳の仕組みを知り出した僕は、高校生を最後に、ムリな努力をすることをやめた(する必要がなくなった)。ここまで読んでくださっているあなたなら細かい説明は不要かもしれない。でも、一応流れを説明しておこう。もちろん、当時の僕はコーチングなんて知らないし、ビジネス書をはじめ、脳科学や心理学をかじった程度だった。だから、当時の僕を振り返りながら、「たまたま科学的にも効果のある方法を実践できていた」と思って読んでほしい。

当時の僕は一橋大学の商学部を志す受験生だった。今でもトップレベルの国立大学の1つだが、大学入試の文系数学において「日本一難しい」との呼び声が高い。小学生の頃から、つまり算数の時代から数字が苦手だと思っていた僕は、その後「どうしても一橋大に入りたい」と思う様になっていた(高校2年生のときにお世話になっていた予備校の担任の先生が、一橋大学の良さを教えてくださり、僕を励まし、やる気に火をつけてくださったことがきっかけだ)。たまたま読んだ本で数学の面白さに気づくことができたこともあるけど、もっと根本に「僕は一橋大に行くのだから、これくらいできて当然だ!」「これ解けるとかカッケェ!笑」と考えられる様になったことが、日々の勉強や成績にも影響していた。

「できないことの方がおかしい」訳だから、現状のできていない世界に違和感を覚えはじめる。「できて当然の世界」に到達するための行動を、自然ととる様になっていった。「少なくとも今、青チャート(数学の有名な参考書)のここまではやって当然だ」みたいな笑。日々、進学した先でのことを超具体的にイメージしてワクワクした。臨場感を高めるために、何度かキャンパスに足を運んだこともある。色んな人との会話を通して、「学ばない方がヤバい」ということと、「勉強したことが役立つ」場面に触れることで、どんどん勉強する理由が強化され、やる気も湧いた。楽しみながら勉強するコツを身につけることもできた。結果として、数学に限らず、苦手だった英語や地歴も含め、総合偏差値がピーク時で70を越えたのであった(当時の河合塾、Z会などの模試にて)。ま、家庭で起きた事件や僕自身の心の問題などが重なり、結局合格に至らなかったけどな笑。

枝葉ではあるが、このストーリーに出てくる随所に、コーチング理論に通ずる各メソッドが顔を覗かせていたことに気づいたかな?仮に「数学を克服したい」と思っていた場合、ゴールもなしに漠然と「数学はできて当然だ」だと空回りしやすい。僕の場合、「絶対に一橋大学に行く」と思っていたことが、苦手だった数学を「できて当然で、好きで、得意な科目」にまで変えたということ。コーチング理論的に言えば、もちろん一橋大に行くこと自体はゴールじゃない。記事の趣旨からズレるので割愛するけど、「その先で何を実現したいのか」がゴールであったということも押さえておこう。

本当に「やりたいこと」なら「努力」はいらない〜終わりに〜

周囲の人から見たらメチャクチャ努力している様に見えることも、本人が「やりたくてやってる」とか「やって当然だ」と思ってやってたら、いわゆる努力とは違う次元のものだ。つまり、夢中という領域であったり、習慣であったりする。まあ、休日に朝から晩までテレビゲームをやってる少年と同じだ。そんな少年を見て「休みが来るたびにゲームばかりやってるとは…なんて努力家なんだ!!」とは思わないでしょ?笑。

「目標達成に努力なんていらない」と言うからには、ちゃんと根拠があるのさ。
テレビゲームは分かりやすい例ってだけで、その他の何にでも応用できるということが、僕が身につけた「成幸脳」およびコーチング理論の素晴らしいところだ。

補足しておくと、嫌々やらされている目標のことを「奴隷のゴール」と呼ぶ。「やりたくないことをやらされている」状態である(本人が無意識にでもそう感じている)限り、いかに科学的アプローチをかじって工夫しようとも、ストレスや辛さの方が勝る。根本解決になっていない上にお慰め程度の効果しか得られず、結局苦しい現状を打開できない…と。それは、これだけYouTubeや本などで気軽に役立つ情報が得られる中で、日々嘆く人が多いことからも明らかだろう。

人生を通して、挑戦したり、好きなことを追求しようとすることが「いけないこと」「危険なこと」であるかの様に信じ込まされてきた。つまり、あるはずの選択肢が見えなくなるほどまでに、洗脳されてしまった状態。それこそ、最悪のスコトーマだ。今これを読んでいるあなたがそうだったとしても、あなたは決して悪くない。こんなこと、中々自力で気づけるもんじゃないから。だからせめて、1つ1つの認識を改めていこう。明らかにおかしいのに「正しいと信じ込まされているもの」が、世の中には数え切れないほどある。まずはそのことに気づき、正しいもの(ゴールを達成する自分にとってプラスになるもの)を受け入れていくことさ。「僕/私は、本当は〇〇がしたい」「こういう生き方を実現したい」「△△ができるようになりたい」と思っているはずのあなたの心の声に、蓋をする様に仕向けた誰かがいて、そういう仕組みがあった。で、結局今のあなたが持っている信念の多くは、自分のものじゃない。過去に「そう思わされたもの」がほとんどだからだ。今がどんなに辛くても、未来を諦める必要はない。少なくとも「今とは違う道はある」ということだけは心に留めておこう。しかも、自分次第で、いつでも舵を切ることはできるんだぜ。自分の心を見つめ始めることから、人生改革への挑戦…あなたの本当の「成幸」が始まる。

どうしても疑問が湧いたり、相談したくなったら、遠慮なく連絡してほしい。
The Power Creation

と、今回は少々長くなってしまったので、ここまでにしよう。
最後まで読んでくれて本当にありがとう!
では、また会おう!

〜To be continued〜

H O M E

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