運命は切り開くもの。才能は育て、開花させるもの。

どうも、Rikiya The Powerです。

カオスだ何だと散々ネタにしてきたコールセンターも、着任から2ヶ月が経過した。
ここまでの皆の努力、工夫、人事面の改善もあり、現場はとても運営しやすくなった。
あとはより細かい問題について調整すれば、無事に走り切れる…かに思われた。
どうやら、そうは問屋がおろさないらしい笑

先日、現場の1か月延長が決まった。
この「1ヶ月延長するかどうか」をめぐっては現場に留まらぬ諸問題があり、話が持ち上がった当初から想像以上の暗雲が立ち込めていた。
今でさえ、このままでは取り返しのつかない大嵐へと発展する危険をはらんでさえいる。
僕たちは、(おそらく)最後にして最大の問題を乗り越えなければならないのだ。

まず、延長もなにも…(おっと!この先は本編でお楽しみいただこう笑)
最近はコンプラ云々を心配されるヒヤヒヤBlogだが笑、まあギリギリのラインは保っているだろう。

さて、前記事を更新した夜からおよそ1週間、僕は謎の頭痛と発熱に襲われていた。
体温上昇によると暑さと頭痛以外に特に症状はなかったが、とにかくそれがひたすら続く状態だった。
時節柄仕事を休む羽目になり、現場のみなさんにご心配、ご迷惑をおかけしてしまった。
ただ、8/4にPCR検査を受け、翌日には陰性と判明。
ホッとしたと同時に、結局原因が何だったのかは分かっていない笑
周囲には知恵熱だと言われているが…。

また、この休息中、zoomを使って何度か投資家T氏とProject関連の話を進めた。
急遽オランダに飛んでいるプロデューサーMに、自ら今後について話し合う機会を打診することもできた。
後回しになりガチだった「色んなWebサイトを観察してみる」という自己研鑽もできた。
少しだけだが、デイトラに触れることもできた。
9月以降の動きを含め、心を落ちつけてゆっくり考える良い機会になった。

大体の近況を共有したところで、そろそろ本編に入っていこう。
今回は僕の過去と、今につながる1つのエピソードを紹介する。

この現場は最後まで波乱で終わるのか

僕がいる現場に限らず、行政関連の仕事というのは、現場の「頭数」が重視される傾向にあるらしい。
現場の機能とか効率の良し悪しよりも、出社人数が頭数に達しているかどうかや、動いているかどうかが主な評価対象であると言って過言ではない。
誤解を生む表現かもしれないが、お上から見たら「いれば良い」ということなのかもしれない。

※立ち上げのとき、「想定している6割くらいで良い」と言われたことを今も覚えている。
もっとも、現場が始まって以来「6割で良い」などという意識で仕事ができた人物は、誰1人いないだろうがな笑

で、お上様たちが「9月も僕ら同様の拠点を残すかどうか」という簡単なことを決めかねている間にも、現場では「次の仕事を探す」と言って動き始めているスタッフが複数いた。
現状を鑑みれば、「今日の晩御飯は何にしようか」と考える方がまだ難しいのではないかと思えるが、様々な立場の人たちが、それぞれバラバラに関わるとこういうことになるらしい。

僕が所属しているS社でさえ、シフトチーム、勤怠チーム、営業、システム屋+α…色んな人達が関わっている。
これまで彼らは、ただでさえグダグダな運営の中で、肝心なことをさっさとハッキリさせなかったり、肝心なときにほとんど機能しなかったりと、各所からの信用を落とすには十分すぎる失態をくり返してきたのは事実。

前向きに残ろうとしてくれる人の方が少ない現状があり、理由をうかがえば「S社への不信感」を述べる者が多数…。

さらに、SV陣にも、元々9月からの別案件が決まっている人や「この契約期間で降りる」という方が3人もいる…。
優秀なSVが同時に3人だ!
もちろん仕方のないことだが、立ち上げから共に戦ってきた方もいる。
その中には、現場で抜群のバディを組んできたキャメル氏の名も…。

おっと、ただS社を責めようってんじゃないぜ。
S社に限らず中間に入っている企業は皆同様のことで頭を悩ませてきたはずだ。
仕組み、精度、スキームという根本的な問題に加え、立場上お上様らの顔色をうかがわなければならないので、非常に動きにくい状態であったということは存じている。
S社としてはさっさと動きたい状況でも、クライアントやお国が決定してくれないと何ともし難いし、何も言えなかったのだろう。

今、一番の問題は、誰が悪いのかではない。
問題は、このままでは続行が決まっても「頭数が足りないから」現場として成り立たない(強制終了)なんてことになりかねないということ。

これまで、何とか頭数が足りる様に、コールセンター未経験者やPC操作すら怪しい人物も招き入れてきた。
そうした人物達も何とか現場で教育し、育て上げ、現場を動かして来た。
お上共よ、「今回も今までと同じようにいく」なんて思うなよ。
メチャクチャな不案内を上手くつなぎ、明らかなスキームの欠陥に打開策を考え、実行してきたのは我々だ。

危機的状況で失う戦友、かつてないほどの激縛りの中行われる予定の研修、運用改善…
この状況を、僕らはどの様にして切り抜けるつもりなのかというと…
この続きは次回の記事でのお楽しみとさせていただこう!笑

お次はある男の、1つの奇跡を紹介しようじゃないか。

幼い頃に癲癇を患い、秒速で克服してしまった男

突然誰の話を始めるかといえば…
コイツは、僕のことだ(ネタバレが早い!笑)。

一部の知り合いや友人には話したこともあるのだが、ここで1つ、僕について開示しておこう。

僕は赤ん坊の頃、これまで家系の誰にも存在しないのに、原因不明、特発性の癲癇を患った過去がある。
しかしそれを、あるアクシデント(と思われるが結果的には超ラッキーなできごと)によって克服してしまったのだ。

※詳述は省くが、もし癲癇について知りたい読者がいたら、下記サイトがとても分かりやすいのでオススメだ!
下記リンクは、エーザイ株式会社が運営し、専門医や大学病院の教授が監修を務める『epiサポ』内の記事だ。
https://epilepsy-support.net/about.html

さて、僕は幼少期からずっと、極端に眠りが浅い(眠りが浅いこと自体は父親譲りだ)。
今でも、ス…っと自分の部屋の扉を開けられただけで目が覚める。
家族が夜中にトイレに行けば、当然目が覚める(実家は僕の部屋の目の前がトイレだしな笑)。
それでなくとも、元々同じ空間にいなかった人物の気配を感じれば目が覚めてしまう体質なのだ(侍かよ!笑) 。

母親いわく「散々泣き喚いたあと、やっと寝たと思って、ベビーベッドにそーっと置いた瞬間に泣き出す」夜泣き小僧だったらしい。
その後、やっと泣き止んだと思ったら、何事もなかったかのようにはいはいしだす…。
しかも、少し目を離せばあの手この手で家から脱走をこころみる笑

僕がこんな調子なので、母親には随分苦労をかけたらしい。
ぶっ倒れる寸前の寝不足が続く母親の苦労など知る由もなく、バタバタと元気に徘徊する赤子のRikiya The power…。
真夜中に物音がして目を覚ますと、大抵は僕がリビングを這いずり回っていたらしい笑
「コイツはいつまともに寝てるんだ?」
両親からそんなツッコミが飛んできていたことは、想像に難くない。

ある日、そんなアンパンマン並みに元気100倍の赤ん坊が、痙攣している。
最初に母親が発見し、病院に連れて行った。
診察時には痙攣が止まっていたらしく、医者には「風邪ではないか」と言われてしまったそうな。
しかし、当時の母の友人の1人に、勇敢な看護師がいた。
その友人の強い勧めもあって、別の病院へ。
この時は、僕の様子を撮影したビデオカメラもあった。
こうして、専門医のいる大学病院への推薦状を書いていただけた。
そこでようやく、特発性の癲癇であることが判明したのだった。

だが、事件はこれだけで終わらない。
当時の小児科病棟は、赤ん坊同士が仕切りがないも同然の環境で、近い距離に並んで寝ていることも珍しくなかった。

僕の隣にいた女の子が、風邪を引いてしまった。
あろうことか、既に弱っていた僕に、その子の風邪が移ってしまったのだ。
赤子の風邪は死に至る危険もあるゆえ、絶体絶命のピンチ。
両親の脳裏によぎる、絶望。

至急、ビタミンB等を投与された。
(しかも、少々多めに投与されてしまったとか、されなかったとか…。)
僕は、そのまま「死んだのか?」と疑われるほど大人しく眠りにつく。

その後目を覚ました僕は、何事もなかったかの様にケロっとしていたらしい。
そこで両親も医師も気づく。
「あれ?コイツ痙攣を起こさなくなったな…」
その後の経過観察でも問題なく、「5歳までに再発しなければ大丈夫でしょう」と言われて、無事に退院したそうな。

こうして今、27歳になった僕がいる。

かつての僕の様に、原因不明、遺伝でもなく突然癲癇になるケースは稀にある。
そして、その中でも稀に、突然治ってしまう事例もないわけではないらしい。
僕の癲癇の経緯、行動パターン、特徴を見た担当医師は、不思議そうな顔をしていたそうだ。

最後にかけられた言葉は、「この子は将来、とても頭の良い子になるかもしれませんね。」だったとか。
もちろんこれは「一般的じゃない」部分を切り取ったもので、どの様に頭が良いと定義するかはまた別の話だ笑。
半分は冗談だろう。

このことを僕が知ったのは、中学生になってからだ。
何気ない家族での会話の中で聞かされたもの。
最近になってまたこの話題で盛り上がったので、記事にしてみようと思った次第だ。

「良かったね。めでたしめでたし。」で終われば良かったんだ。
だけど、こんなものは氷山の一角にすぎない。

運命よ、そこをどけ。俺が通る〜終わりに〜

これは、バスケットボールの神様と呼ばれたマイケル・ジョーダンの言葉。

僕のBlogは「終わりが熱いBlog」と定評あるらしいが笑、今回は少々過激だ。
読者によっては、いつも以上に不愉快に感じるかもしれない。

しかし、これから語ることはあくまで現在の僕の意見、感想に過ぎない。
「絶対に自分が正しい」などと主張するつもりもない。
どうしても納得できないときは、「いち20代の若造の感想」程度に受け流してもらってかまわないさ。

さて、僕には物心がついた頃からずっと抱えている問題があった。
それは、「周囲と馴染めない」こと。
いまでこそ一般社会の世界でも何とかやっていけている(と思う)のだが、長年の1番の悩みは、周囲のコモンセンス(いわゆる常識や、共通感覚なるもの)を理解できないことだったのだ。
いや、その全てが理解できなかったというよりも、心底では納得できていなかった。

分かりやすい例でいうと、「なぜ決まった時間に学校に行き、皆が同じ授業を受け、それを強制させられているのか。」もまったく理解できなかった。
「最低限は担保しつつも、それぞれのレベルに合った教育」なるものが当たり前であれば、もっと納得できていたのかもしれないが…。
「教育という名の洗脳」
そんな感覚が頭を離れなかった。

同様にして、「働く」ということの意味。
子供のころ、学校や周囲の大人に教わる「言葉の上での働く意義」について。
大人たちの言う「それっぽいこと」も、どこか腑に落ちなかった。
かといってそれをどうにもできないし、まだ考えても分からなかったので、黙って納得したふりをする…。
その後高校生になってアルバイトをするよになって、違和感はさらに大きくなる。

しかしここで、社会の構造への疑問と、大きな仮説が生まれた。
その一部が、かつて『The Power Projectで実現する未来』や『復活のR!』にちりばめた内容の先駆けとなっている。

思ったことをすぐ口にしてしまう性格からか、小中学生時代はいじめられるか、仲間はずれにあう機会も多かった。
(当然、今以上に言葉選びも感情のコントロールも下手くそだったしな笑)

そのいじめを克服すべく、空手を身につけた。
細い見かけがコンプレックスだったこともあるが、それからは相手の年齢や体格を問わず、何度殴り合いの喧嘩をしたか分からない。
(今思えば僕にも問題はあった笑
かと言って、不良をキメこんでた訳でもない。
よく言えば、ただ素直だったのさ…。)

「普通ってなに?」
こんなことを何度周囲に聞いたか分からない。
「当たり前」と言いながら同じ様なレベルの者同士で群れ、心身は限界まで疲弊し、社会に存在する格差や欺瞞を見てみぬふりして、一部の成功者を見れば「選ばれしもの」と度外視するか、「運が良かっただけ」などと嘲笑する。
本当は自分がどうしたいのか、どう思うのかを上手く表現することもできぬまま、「自分は自分」と納得したふりをする。
いや、あえて考えない様にすらしている者までいる。

それが「大人の常識」というものなのだろうか。

コミュニティには見えない暗黙のルールや、謎の常識が必ずと言って良いほど存在する。1対1でも、程度の差こそあれ、ルールが存在することに変わりはない。
「人間関係」という言葉でくくると簡単そうだが、相手が変われば、立場が変わればルールが変わる。こんな複雑なものが他にあるだろうか。

学校や職場で、仲間外れになるのが怖くて互いに探りあいながら群れている者も沢山いるだろう。
アイデンティティを見出せぬまま、モヤモヤしたまま周囲と同じような格好をし、同じような行動をとることで、「これが正解らしい」と安心する。
「お前は言われた通りにやっていれば良い。」いまだにこんなことを言う大人は沢山いる。
自力で考えられないお利口さんで終わればまだ社会での役割も果たせるかもしれないが、便利な処世術を身につけ、権利ばかり主張する割には大して成果を出さない愚か者も量産される。
こういう連中は、深層心理では、いかに楽をするかしか考えていない。
「どうして自分だけ」とばかりに、極端なまでに平等を主張する。

世間の動き、群集心理なるものに疑いすら持たないのは、もはやアンドロイドと何も変わらない。
「仕方ない」という盾に隠れ、自分の可能性を捨て、「大人しく生きる」ことが、「大人になる」ということなのか?
大きな力に逆らうとまではいかなくとも、「私はこう思う」と表明することすらしない。
「自分でもどう言えば良いか分からない」「夢も目標もない」などと言って、完全に毒されている者までいるではないか。

僕はずっと、そんな世界に疑問を抱え、孤独に生きてきた。
だが、当時の僕を取り巻く問題の多くは、高校生になって勉強や学問の世界に興味を持つことで少しずつ解消されていく。
僕の最大の問題は、「この違和感を言語化できないこと」だったらしい。
端から見れば、先の「どう言えば良いか分からない」者たちと変わらなかったのだろう。

思考方法を知らずして、言葉の定義を知らずして、人が、ひいては世界が動く原理原則を知らずして、どうして自分の意志を表明できようか。
「僕は、何も知らなかったんだ。」
この大きな気づきが、今の僕の原点だ。

高校生になった僕は、突然勉強に目覚めた。
加えて、本を沢山読む様になった。
それまでは考えられないことだったのだ。
中学生までの僕の日常は、「スポーツ、遊び、ゲーム」くらいのもので、とにかくそれらに熱中していた。

勉強をするのは「やらざるをえないから」であって、その意味を深く考えたこともなかった。
それが、ちょっとしたきっかけで目覚めた途端、ちょっとでも隙があれば勉強するか読書をするようになった。
勉強に「ハマった」のだ。

なんせ世界には、数多くの、伝説級の人たちがいる。
本を通して見る世界、使われている表現の数々が、僕の違和感に働きかけてくる様な感覚があった。
新しい本を買っては読みふけり、いちいち感動していた。
今や僕は、本屋や図書館に行くと高揚感すら覚えるほど、勉強することが好きだ。

※人生で初めて読んだビジネス書は、楽天の三木谷 浩史さんが書いた『たかが英語!イングリッシュナイゼーション』だった。
そこで書かれている社内の改革、これからのビジネスにおける先見の明…。
当時の僕には、考えられないような世界が広がっていた。
ハッキリ言って出てくる言葉の半分くらいは意味が分からず、辞書を片手に読み進めたのは良い思い出だ笑。

しかし、本に限らず、情報を正確に読み取り、話者の背景にある思想を洞察し、文脈や全体像を捉えながら読む…なんてことをスムーズに行うには少々トレーニングが必要だ。

「読んで分かった気になる」など、ありがちな罠には何度も引っかかった。
何度も情報自体に振り回され、「そもそも理解できていない」ということを思い知らされる機会にも何度もでくわした。
皮肉なことに、世界への扉を開いてくれた勉強や読書が、再び僕を殻に閉じ込めることもあった。

今もまだまだ課題はあるのだが、紆余曲折を経て、自分の考えや感覚を言語化できる様になってきたという点で、随分と成長できたのではないかと思う。
少なくともあなたが、この記事を読んで「意味がわかる」ならば、僕の努力も無駄ではなかったということだろう。

「生きてきた、見てきた社会だけが世界じゃない。」
そんなことを知ることができた。
少なくとも、地獄しか存在しないわけじゃない。
「まだまだ知らない、面白い世界があるんだな。」
それは僕にとって、大きな救いにもなったのだ。
基礎学力という意味での勉強と読書は、間違いなくその後の僕の運命を大きく変えるほどの影響力を持っていた。

少なくとも、人見知りで他人と話すことすら前向きでなかった僕が、今では大概の相手と積極的にコミュニケーションをとり、自ら発信するようにまでなったのだから。

とはいえ、僕にとって書いて発信すること自体が毎度挑戦だ。
共感を得ようとか、理解してくれとは思っていないつもりだが、「なんとか伝えよう」とは努力している。
だから、僕の記事を読んで「面白かった」とか「励まされた」と言ってくれる人の存在は、努力が少しでも伝わった気がしてうれしい。

改めて言おう。
これは、単なる自己満足のための日記ではない。
僕の人生をかけた挑戦記として、ここに残すと決めたものだ。
僕が今より成功者に近づこうとも、大失敗をしようとも、いつか必ずこのBlogが誰かの、また自分の役に立つときがくる。
そう確信している。

さあ、タイトルに戻ろう。
「運命」ってなんだ?
「才能」の有無を、どうやって判断してきた?

何度でも言うが、絶対に、自分の可能性だけは諦めたらダメだ。
「これが自分の運命だ」なんてたやすく言えるほど、心を燃やして挑戦したのか?
それを他人に言われたときに、「その通りだ」と違和感すら覚えない自信はあるか?
他の誰でもなく、自分が心から「これだけやったんだ。悔いはない。」と言えるだけ努力したのか?

5年後の同じ日を迎えるとき、ちょっとマシか、ちょっと生活が厳しくなってるかくらいの分かりやすい未来を迎える運命もあるだろう。
今、何か1つ燻っているものがあって、「ああ、これさえなければ」と思うものはないか?
「いつか必ず◯◯をしたい」と思うものは、1つもないのか?
大それたものである必要もないが、大それたものじゃいけない理由もない。
あなたが思う、「こんなことがしてみたい」「どうにかしてこれができないか」と思うものに、大きな才能と、運命を変えるヒントが隠されていることだろう。

待つな、探せ。動き出せ。
悩んで、覚悟を決めて、主体的に人生の舵をとる。
人生の責任を自分でとり、敢然と立ち向かう。
それでこそ、「真に運命と向き合う者」ではないのか。

せっかくの才能の芽を、自ら摘んでしまうことのないように。
どうか心の片隅に、消えない炎を灯し続けてほしい。

僕は、Rikiya The Powerとして挑戦し続けていくことで、己の人生をかけた仮説を証明する。
最後に見出す結論は、最初に思い描いた仮説とは異なるかもしれない。
そのときはそのときだ。
その運命を、受け入れてやろうじゃないか。

一歩踏み出す自信がないという誰かのもとに、僕の言葉が届きますように。
では、また会おう!

〜To be continued〜


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