男が一度、「必ずやる」と言ったのだから

どうも、Rikiya The Powerです。
今回のタイトル、ONE PIECEのブルックみたいでウケるな笑

さて、周囲の皆の助けもあって、早くも生活が安定してきた。まだ分からないことだらけだけど、Z社での仕事にも少しずつ慣れてきている。

一方、閏年の閏日2024/2/29(木)、ついにデイトラを再開した。本当に時代の流れが速いというか、Web制作の学習に半年ものブランクを作ってしまった結果、カリキュラムのほとんどが刷新されていた。ほとんどやり直し同然だ笑。
とはいえ「改めてしっかり学びたい」と思っていたし、初級から目を通すくらいでちょうど良い。
中級で扱っていたJavaScriptやSassの基本が初級の中盤以降に登場したり、取り組む課題が新しくなっていたりするということらしい。
いずれにしても、昨今の業界や関連サービスの動向に合わせて中身がアップデートされていくことは、デイトラの運営がしっかりしている証拠だ。最初にお金を払っていれば、新しいコンテンツにも追加料金なしで取り組める。どんどんコンテンツが良くなるんだから、素晴らしいよね。

現時点では初級編のDay 8〜10(HTML/CSS コーディング復習)まで終わった。Day 7までは「数日かけて架空のケーキ屋の簡易サイトを制作する」カリキュラムになっていたから、同じものを「動画を見ずに作ってみよう」って内容だ。
初級1発目だから当然、解説にもSassなんて便利なものは登場しない笑(後に、Sassを使って書き直すカリキュラムがある模様)。
「超基礎」のおさらいとして、僕もあくまでSassを使わずに書いてみた。CSSのベタ書きが久しぶりすぎて、Sassの素晴らしさを実感した笑。でも、CSSのことをちゃんと分かっていないとSassを使いこなせていることにはならないと思うんだ。
何事も、基礎を疎かにしてはいけないね。

しかし言語はなんであれ、やはりプログラミングってやつは取り組んでて面白いな笑
今回の復活を機に、今度こそ必ずデイトラを卒業してみせる。

と、早くも記事が終わりそうな雰囲気だが…もう少しお付き合いくだされ笑

※CSSとは、Webサイトの見た目を整えるための言語。
文字の大きさ、行間、背景の色、画像の大きさや配列など、あらゆる変更、変形が可能。ボタンなどを自由に作ったりもできる。
もしHTMLしか使わずにWebサイトを作ったら、とてもじゃないが見にくすぎて醜くすぎるWebサイトが爆誕してしまう笑。
で、SassとはそのCSSを超便利にした上位互換みたいなもの。Sassで書いたものを勝手にCSSに変換(コンパイル)してHTMLに反映できる優れものだ。
ちなみに、Sassで書く→CSSが出てくる→出てきたCSSがHTMLに反映されるって流れだから、後から変更する時はSassをいじらないといけない。出力されたCSSを直接触ったらアウトなんだけど、Coderなら誰しも1度はやっちまった経験があるものさ笑。

Contents

あなたは自分の人生を生きられているか?

X(旧 Twitter)なんかを見ていると、世代に関係なく今の仕事や働き方、収入に満足していない人たちの悲痛な叫びを目にする。
これまでのどんな職場でも、雑談混じりに同様のことを耳にしてきた。
確かに社会課題ではあると思うし、僕も高校生の時にアルバイトをしていて、働き方の常識に疑問を感じて動き出した1人だ。
政治責任、生活してて遭遇する理不尽は数え切れないほどある。それでも、ただ「愚痴るだけ」で終わってる者ばかりということもまた問題だと思う。

まず、世の中とは基本的に既に作られた仕組みやルールがあって、そこに乗っかって生きていかなければならない。法律はもとより、労働時間や賃金だって、従業員側が決めることはまずない。
会社のルールや暗黙の了解を守り、上司に逆らわず、いかに会社に従順であるかを重要視される。
そこからはみ出したり、他から遅れをとることは恥とみなされる。職場を失えば収入に困るし、無難に日々をやり過ごせれば良いと考えるようになる。いつの間にか、生きるために仕事をしているはずが、仕事のために生活しているかの様な毎日を送るようになる。

忙しさや疲れを言い訳に、最も向き合うべき自分を疎かにし、自分が本当はどうしたいとか、どうありたいのかとか、「真剣に」考えることも減る。失敗を恐れ、チャレンジすることから遠ざかっていく。心の片隅でぼんやり「これで良いのだろうか」「本当はこういうことがしたい」とか思いながら、ごまかし続けて老けていく。で、「あーもっと○○しておけば良かった」などと思いながら最後を迎える。
ここではあえて暗い表現をした。それが良いとか悪いとか述べるつもりもない。だけど、基本的にはこれが、多くの人にとって「常識の範囲で真面目に生きるだけ」の人生の末路だと思っている。

1つの会社でのルールは、あくまでもその会社が作ったルールであって、必ずしも法的強制力のあるものではない。辞めたきゃ辞められる。
もちろん、何の金策も備えもなく、無理に抗おうとして脱線しようものなら、たちまち生活も成り立たなくなり、痛い目をみて舞い戻るはめになる。かつての僕みたいに笑。ま、これも「常識で考えればわかることだ」と言われてしまう範囲だろう。
いずれにしても、法で定められたルールにのっとり、納めるものさえちゃんと納めていれば、どんな稼ぎ方でどんな生活をしていようと本人の自由であるということも、あえて記しておこう。

失敗は経験値。いつまでも夢を語れ、挑戦者

いくら僕が大口を叩く生意気チャレンジャーとはいえ、全ての人の全ての夢やあこがれが「絶対に叶う」なんて思ってない。
正確に言えば、目的地の設定方法を間違えたら、例えカーナビを使っても目的地には辿りつけないと思っている。
更に悪いことには、自分の人生のことであるにも関わらず、「自分がどこにむかっているのか」も「設定方法」もよく分からないという人の方が多いらしい。長くなるので本記事では割愛するけど、近いうちにおすすめの書籍なども紹介しよう。

それにしても、どういう訳か夢の話となると「全員が野球選手にはなれないじゃん」などと言う、そういう教科書があったら載っていてもおかしくないほど典型的なポンコツドリームキラー(やる気を削ぐだけの馬○)が現れる。確かにアスリートともなると競争率が激しすぎる上に、身体的賞味期限があるような世界だ。例え一生をかけて挑戦したとしても、届かない人の方が多いのが現実だと思う(30歳を過ぎた一般男性が本気で「俺もメジャーリーガーになって大谷越えるわ」とか言ってたら流石にキツいと思うわな)。

ところでさ、「夢を叶える」ってそういう、あからさまにデカいもの1つだけを指すのか?
仮にそれが叶わなかったとして、「思った通りに叶わなかった過去」は必ずしも悲劇なのか?
僕に言わせれば、否だ。挫折したり、夢破れたときは超悔しいし、そのまま腑抜けになってしまえば、その人にとっては悲劇なのかもしれない。だけど、今日から新たな夢を持ったって良いし、何度でもやり直せば良いし、超小さいのと中くらいのとバカデカいのが何個あっても良いじゃないか。最初に破れた夢を追っていた時は、より確度を高める方法も知らなければ、友人や周囲に流されてやっていたものだったり、他の選択肢を知らなかったり、本当に自分に向いてるもの(自分の特性)も分からなかった可能性が高いのではないかな。

挫折した、失敗したと思うなら、そこから学び、新たな夢を叶えにいくための教訓に変える。そういうリフレーミングを行えば、悔しい挫折も「その後本気で叶えたくなったことのための布石」でしかなくなる。
いずれにしても、「自分次第で叶えられる小さいのと中くらいのものをいくつか達成できるだけでも素晴らしいことだし、運要素も絡んでくるデカいのは中くらいの夢の先でチャンスを伺おう」くらいの感覚で良くないか。
超小さい夢なんて、「この前発売されたBOSEのQuetConfort Ultra Earbuts絶対ゲットするわー」でも良いじゃないか(これは本当に僕が欲しいものだけど笑)。

ここで1つ、夢について後ろ向きな者たちに問いたい。
いつから「夢は1つしか持ってはいけない」とか「子供の特権」などと錯覚していた?
40過ぎだろうが50過ぎだろうが、デカい夢を本気で追いかけてる人たちなんていくらでもいる。僕が本気で夢リストを全部書き出したら、少年ジャンプくらい分厚くなる自信があるぜ!

※「夢」という言葉のイメージに僕とギャップがあれば、「目標」に置き換えても問題ない。あくまでもこの記事では、「今すぐは達成できないが、ある一定の日数、年月をかけて達成しようとするもの」を全て夢と呼ぶことにしている。実際には、現実的に距離を測定でき、明確に判定可能なものが目標で、達成の可否が明確でない時点では夢と言うことの方が多いだろう。
いずれにせよ、計画として逆算し、視野に入れることができたとき、夢は単なる予定に変わるのさ。

現代は、アーティストであれクリエイターであれ、年齢やジャンルに縛られず発信する手段が沢山ある。
もちろん誰でも気軽に発信できるゆえに、「発信している人」なら吐いて捨てても余るほどいる。
どんなものが注目されるのかさえ分かりにくい昨今、差別化の難しさに難儀する者も多いと思う。
見た目であれ実績であれ作品自体であれ、人の目にとまらないことには、好き嫌い以前に見向きもされないわな。だからこそマーケターやプロデューサーが存在するんだけど、例えばある一曲がバズった結果、影響力のある人の目にとまって、本人も驚きの一大イベントにつながった様な例も少なくないよね。

別に「有名になりたいわけじゃない」とかはどうでも良いんだ。大小はともかく、「好きでやってる」とか「夢につながる」と思ってやってるなら、どうかその活動、発信を止めないでくれないか。同じ挑戦者としての性なのか、もがきながらどんどん大きくなっていくその過程を見守ることもまた尊いのさ。新たに本気で追いたいものが見つかったならともかく、「ただ辞めるだけ」の悲しいパターンを多く見てきた。本人からすると深刻なんだろうけど、見ている側からすると、直接的な原因じゃなかったり、「他にやりようはあるよね」って思うことが多いからさ。心が疲れてしまったり、何か問題があって休むことは仕方ないさ。でもまた、笑って戻ってきてくれ。

仮に何かで一目置かれる存在になったとして、最初は一部の知り合いの間だけ、あるいは学校や会社の中かもしれない。どんなにバカにされてた者だって、無名だった者だって、1つでも良い結果につながれば、まるで絵に書いた様な美しい手のひら返しを拝めるものさ笑。その内容如何、誰の目にとまったか次第で、日本中、ひいては世界の果てまで届くことだあってあるかもしれない(ピ○太郎みたいに笑)。

今注目されている人も過去の偉人も、「昨日今日始めた訳じゃない」ということも忘れてはいけないな。
独特の感性だとか運を味方にできたとかはともかく、それまでの血の滲む様な練習、考え抜いた数々の発信があってこそ、巡ってきた運を掴めたはずだ。「私だってこんなに頑張ってるのに…」とか「もう良い年なのに、いつまでこんなことを…」なんて諦めるには時期早々かもしれない。「有名になること」は結果なり副産物であって、最初から条件に入れなくても良いと思う。
明確な基準がある様で無いように思えるしね。いずれにせよ、過去に刷り込まれた思い込みや他者の常識を背負ったままでの挑戦は危険だ。冷静に昨今の動向や俯瞰したり、自分の気持ちと素直に向き合うクセをつけよう。

己と向き合うためにも、「これを見ると初心を思い出せる」「これをすると元気が出る」っていうスイッチ、トリガーになるものを持っておくと良い。それらに触れることで、定期的に余計な荷物降ろし、心の汚れを落とそう。年齢や性別、他の何であれ、あなたの可能性に蓋をしているのは世間ではなく、世間の荒波にさらされて疲れてしまったあなた自身かもしれないから。

諦めるための大義名分を探しても、残るのは虚しさだけだ。誰に言い訳したところで、自分が心から満たされることはないはずだろう?初心を思い出すトリガーは、狭まった視野をギュンと広げ、心のエネルギーを回復するおまじないさ。

ニュアンスはちょっと違うけども、僕も「本当にこのままで良いのか?」と強い不安に苛まれたことがある。
そんなとき、まるで察したかの様に投資家T氏が言ったんだ。「もう無理です、諦めることを諦めてください」ってね。見事に一本とられたぞ笑。もう完全に諦めたね、諦めることを。

あなたの夢が何であれ、人と比べて誰かを羨んだり、僻んだりするくらいなら、「自分なんて…」とか言ってる間にちょっとかじってみるくらいで良いから何か挑戦し始めたら良い。くすぶってるだけならサッサと行動してしまおう。
打席に立たず傍観してるだけの者には、一度たりとも、ヒットを打つチャンスすら巡ってこないのだから。
現状維持を諦め、始めてしまった先で「あぁ〜もっと早く始めておけば良かった」とかポジティブな怒りが湧いてることは想像に難くないのさ笑

既成概念や固定観念にとらわれない。偉大なる人たちの視点は、あなたのすぐそばにある〜終わりに〜

どんな有名人、成功者も、結果を出すまでは身近な人しか知らない「その辺の一般人」だったはずだ。
有名になったその後、知人がどんなに「彼は昔から頑張っていた」等と言ってくれたとしても、それまでの彼/彼女が大衆の1人として埋もれていたことは事実だろう。

では、彼らはいかにして人々から注目されるに至ったのだろう。常識破りな偉人で好きな人は沢山いるんだけど、今回は2人の常識破りを紹介して幕を閉じようと思う。

1人目は、『スターデューバレー』(Stardew Valley)を作ったConcernedApeことエリック・バロン(Eric Barone)氏だ。
彼はこのゲームを、文字通りたった1人で作り上げたことで知られている。かつて日本の『牧場物語』というゲームに感動したエリック氏は、「俺もこういうの作りてぇ!」と思ったんだね。しかし、「ゲームを作りたい」と思ったとして、いきなりSQUARE ENIXやNintendoと同じやり方ではできない。業界の常識としても、(規模にもよるけど)「ゲーム開発とは数十人から数百人で行われるもの」というのが一般的だ。

プログラミング、絵、音楽、その他全てのことを、それぞれのプロが担当するのだから、「1人じゃムリだよ」と言われても仕方ないわな。
そこで彼は、牧場物語を制作している株式会社マーベラスに入社…したわけではない笑。
常識にとらわれない彼が持っていた視点とは、「作りたいゲームに必要なことだけ学べば良い」というもの。
たしかに「熟知しているプロでなければ作っちゃいけない」なんてことはないし、知らないことは知れば良いわな…笑。
約4年の年月をかけ、彼は学び、同時に作り続けた。
そうして彼は、本当に1人でスターデューバレーを完成させ、伝説となったのである。

もう1人は、「1マイル4分の壁を破った男」として有名なロジャー・バニスター(Sir Roger Gilbert Bannister)氏だ。「人間が1マイル(1.61km)を4分以内に走り切ることはできない」という常識をぶち壊したことで知られている。

1954年5月6日、彼が3分59秒4という世界新記録を樹立するまでの過去31年間、世界記録が更新されることはなかった。
ちなみに、パーヴォ・ヌルミ氏による4分10秒3がそれまでの世界記録である。当時は医者や科学者、マスコミも人間が1マイル4分以内で走ることに否定的だった(ちなみにランナーとしてのロジャー氏自身は当時、医学部の学生だった)。
当然世間では「1マイル4分以内で走るなんて無理なんだ」という常識を刷り込まれる。ところが、ロジャー氏がその常識をぶっ壊してしまった。すると…そのたった46日後に、ロジャー氏の記録を破る選手が登場する!(それまで31年間も破れなかったのに⁉️笑)。
で、なんとこの1954年の間に、23人もの選手がロジャー氏の記録を破ってしまったのである…。

まさか、ロジャー氏を含む24名のランナーが、全員ケンタウロスだった訳ではないはずだ笑。
ロジャー氏の活躍によって世間は、「いや、できるんかーい!」と常識をひっくり返されてしまった。
その衝撃体験が人々の認識を変え、ランナーたちの脳裏には「俺にもできるかも」という考えが浮かぶようになった。結果、4分を切る選手が23名も現れたのである(のちに、ロジャー・バニスター効果と呼ばれる)。

常識に囚われない彼が持っていた視点とは、「自分の記録を1/16秒(0.0625秒)ずつ更新しよう」というものだった。もちろん彼のゴールは1マイル4分を切ることだったけど、いきなり達成するのは厳しい。それでも、今のタイムを0.0625秒だけ縮めることならできる。縮め続ければ、結果的に4分を切れるだろう…と。そうして彼は、本当に4分の壁を打ち破り、伝説となったのである。

エリック・バロン氏やロジャー・バニスター氏の成し遂げたことは確かに超すごい。
彼らの真の功績は、人々の常識をぶっ壊してしまったことかもしれない。
だけど、彼らの様な視点って、メチャクチャ難しいこと言ってる訳じゃないとも思わないか?「言われてみたら、確かに…」みたいな感じ。目の前の難題に、反射的に「無理だ」と反応するんじゃなくて、まずは前提を疑ってみよう。ウダウダ言うのは「どうやったらできるか」を考えて、試してみてからさ。

僕は世間の、大きな常識を壊す様な構想を持つ1人だ。
壊すこと自体が目的な訳ではないが、「これが実現できれば、よりイキイキした挑戦者が増え、報われる人も増える」と考えている。一部の、ぬるま湯に浸かった惰性の塊たちにとっては、地獄が待っているかもしれないがな笑。それを実現し、人々が噂にするくらいまで浸透させるのが僕の大きなThe Power Projectの1つであり、夢の1つだ。
現在の挑戦は、そこに向かうために必要な1つの夢であり、通過点だ。他人にどう思われていようと、僕個人は「できる」と確信している。
Rikiya The Powerの魂が真に力也とシンクロするとき、結果や形としてそれを示すことになるだろう。
あなたがXやThe Power Blog以外で僕の名を目にするのも、そのときかもしれないな。

というわけで、久々に少々長い記事を書いたので、達成感でいっぱいだ笑。ここまで付き合ってくれたそこのあなた、本当にありがとう!
挑戦者同士諸君、これからも挑戦魂を燃やして、1日1日を積み重ねていこう!では、また会おう!

〜To be continued〜

H O M E

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