宿願を果たさんがため
どうも、Rikiya The Powerです。
バタ子さんも驚きのバタバタで、ようやく記事を書く時間ができた…。
僕にしては珍しく(?)、向こう1週間くらい、途切れることなくアポや用事が入っている。
「勉強のためにも、なるべく予定は入れない」ってスタンスをとってきたけど、そうも言っていられなくなったのさ。実は最近、身の回りでいくつか問題の種が育ち始めていた。
周囲に話す様なことでもなかったので、密かに動いていたのである。
ここへ来てようやくコマを進めることができたので、その報告も兼ねての新記事さ。
結論を言ってしまうと、1/16にレッド航空を退社した。
※書類上は1/17付らしい。細かいことだけど、念の為。
しかし、心配することなかれ!
既に次の手は二手先まで打ってあるし、ちゃんと明確な理由があっての決断だ。
派遣元にも事情を説明し、どうにかご納得いただいての運びだ。
思い立ってからは超速かったけど、その一瞬は超絶悩んだ笑
こんなパターンの転職は初めてだ。
「嫌で仕方ないから」なんて理由で放棄したわけじゃないんだ…。
背景や動きについては、本編でお話ししよう!
心身の限界でも環境が許せないわけでもないのに転職?その理由とは…
ズバリ…
・お金が足りない。
・スケジュール立てづらすぎ
・シンプルにバラバラ勤務がキツい
・プロジェクトをちゃんと進めるため
なんて言っているけど、1つめの「お金が足りない」が理由の90%だ。
誤解を生むといけないので、ちゃんと説明しよう!笑
このレッド航空の仕事や環境について、大きな不満はない。
どこに行っても目にする明らかな非効率とか、大きな組織ゆえの融通の効かなさとか…
そんなことに苛立っていられるほど今の僕は暇ではない。
先輩方は良い人やできる人が多く、「お世話になっている」「ありがたい」という意識で働いてきた。
仕事は確かにキツいよ?生活リズムは安定しないし、体力的にもキツい。それでも、「もっとできるようになりたい」「彼らに認められたい」と思いながら仕事していた。
では、給与面に触れよう。
「給与と大変さが若干見合ってない様な…笑。」
なんてことは、配属される前から分かっていたこと。
ややこしくて恐縮だけでも、「それが不満で辞める」ってわけでもないんだ(フル出社して手取り22万円くらい。9月までの目標に足りないってほどでもないし、派遣でもらう給与としてはそこまで低くない水準だよね。)
ここで、大手物流企業で国際貿易事務をしていた時の給与は、手取りで30万円を超えていた。
年収に直すと130万以上の差がある(その分、OAスキルや英語力等、求められるスキルも高かった)。
U○er時代も、出張していた頃は手当がついていたので、同じくらいの金額をいただいていた。
で、カオスセンターでのSV時代の給与は、残業代を除けばレッド航空と同じ…。
ただ、「体力的キツさ」だけで見れば、上記のどこよりもレッド航空の方がキツい。
シフト制な上に勤務時間も早朝とお昼でバラバラ、業務内容が固定ではない上に、「完全なド素人」だったことも影響しているだろう(正社員の多くは、航空専門学校を経て入社している。それ以外の方も、航空業界に腰を据えるつもりで入ってきている様な、熱量の高い人が多い)。
いずれにしても、今の手取り+αくらいはいただけないとマズイ事態がふりかかろうとしている(後述)。
話は少々逸れるけど、給与を決めるのは雇う側であって、働く側の要望で決まることは一般的ではない。
ましてや「働く個人にとっての大変さ」などと言った主観や、個人差が考慮されるはずはない。
経験値があって能力水準が高い人や、担う責任が大きい人(あるいは仕事)の方が、給与が高く設定される傾向にあるのも、ビジネスの仕組み上仕方ない(明らかに市場価値よりも安く買い叩く、悪い企業もあるが)。
素人で、経験もスキルも実績もなく、結果を出すかも分からない人を末端ポジションに雇って、他の人より高い給与を払う方がおかしい。
実際、素人が経験豊富なベテランといきなり同じレベルの仕事、考え方をできるはずもない。
また、給与を多めにもらうからと言って、必ずしも「その分仕事がキツい」とは限らない。
能力や経験、価値観にそぐわない仕事の方が、よっぽど大変でキツく感じるもの。給与低さが、そのまま「楽さ」に通ずるわけではない。
これまでの全ての職務経験、人との出会いを通して、ようやく頭と感覚で納得できる様になった。
で、ここからが本題なんだけども、「給与低いので辞めます」ってほど事は単純じゃないのね…。
恐るべき病魔「多発性硬化症」
見出しの病気は、僕が発症したわけじゃない。
僕の父親がこの病かもしれないんだ。
ここ2ヶ月くらいだろうか。手足の痺れが1日中とれず、医者に処方された薬を飲み続けてもなお、改善しないらしい。そこで父は、改めて病院を受診した。
結果、18日(水)の朝、大きな病院でMRIを受けることになった。
父は某カンガルー輸送の運転手を20年以上続けてきた。
さらに、10年以上前から夜中に新聞配達までやっている。
そんな生活をほっとんど休まずに続けてきた。
どんなにキツくても、あーだこーだと文句を言いながらも、そうやって生活を支えてくれていた。
一方、母は現在、某巨大ホームセンターの近くでたこ焼きやらたい焼きを売る屋台でパートをしている。
もちろん生活を支えるために。
しかしそんな現状において、家庭に「経済的余裕がある」とは言えない。
もし…父親が本当に多発性硬化症であれば、今の生活を続けることは厳しくなるだろう。
新聞配達をやめるならば、家計の収入はその分減る。
体は楽になる代わりに、精神的ショックを受けることになる(頑固で、責任感と負けじ魂の強い親父のことだ、間違いない)。そうなったとき、レッド航空にい続ける限り、僕は特に支援もできない。
お恥ずかしい限りだが、本当にその様な事態に陥ったとき、「心配しなくても大丈夫だ」と一声かける余裕はないのだ。
さて、父がついにMRIを受けることに決まった日。
頭の片隅程度に考えていた「もっと条件の良い職場に転職した方が良いかもな」という選択肢が、いっきに現実味を帯びた。
※この時までは、即転職するほどの決定的な理由はなかった。ましてや、配属されてようやく「ちょっと使い物になってきた」くらいで辞めるとか、かなり迷惑じゃん?笑。
もちろん、まだ父の件は確定したわけじゃない。
でも、いずれは目を向けなくてはならない現実である(1日でも早くお金の心配から解放されたくて、頑張ってきた理由の1つだ)。今回の転職は、先手を打つために動いたのだ。
…あれ?
なんか深刻な雰囲気で伝わってる?笑
そりゃ楽観的なわけでもないけど、僕としてはかなり前向きな決断だぜ!
ウジウジ悩んで動かないなら、なんの意味もない
まだ具体的に病気だと確定した訳じゃない。
とは言え、明らかに支障をきたしているのは事実。
「本当にダメになってから動く」のでは遅すぎる。
その後どうにか食べていける状態が保たれたとして、間違いなく家族間の空気は重くなる。
「これからどうしようか…」なんて悲惨な有様だろう。
見事に創造性も思考力も下がり、メンタルにも影響して弱体化するであろう僕が、「はぁ…動かないと…」などとウジウジ考えながら、どうにか転職活動をしながらレッド航空の勤務を続ける。
で、なんとか今より良い給与で、働きやすい環境の会社に拾われて…めでたしめでt……
いーーーや無理だね!!!
今は1月半ば。
来月期のシフトが決まってからではますます動きにくくなる。
ましてや、3月で年度末を迎えた後、大抵の業界は忙しくなる。
さらに、転職市場等は3月にも賑わうものだ。
「1月末(即日)スタート」「2月スタート」で企業が募集をかけるタイミングは、今。
最高のタイミングとも言えるんだ。
シフトの合間を縫って職務経歴書を作成し、スキルチェックを受け、スケジュールを調子して企業訪問して…なんてやってたら、おそらく4月に間に合えばかなり良い方だろう。
しかしその間、プロジェクトどころではなくなってしまう。
また1年ダラダラ間延びして、結局やり直し!?(ふざけんな!!笑)
ってことで、今を逃すと僕の転職成功率は、ひいてはプロジェクトの成功確率も、限りなく低くなる。
こういう場面を何度も経験している僕は「今動けないなら、この先はもっと動けない」と悟った。
だから動いたのさ。
同時に起きた事故は、チャンスでもあった
1/13(金)の夜。
この日はシフト上お休みであった。
夜19時ごろ、母親と話している最中に、急にめまいがした。
明らかに頭が熱いので、恐る恐る体温を測ると…38.4℃!
当然、数日仕事を休む羽目になる。
「おいおいマジか?休むだけでもちょっと面倒なんだぞ…」なんて考えていたが…。
すぐに「いや、今こそまさに動く時」と閃いた。
僕はその日の夜、転職活動を開始した。
日付が変わる前には、合計6個の案件に応募した。
どれも、これまでの僕のスキルや経験を活かせるもので、固定出社で、オフィスワーク(またはリモート)で、給与面もレッド航空より高いものばかり。
その中で合計3社。18日から20日までの3日間、既に面接および面談のアポが入っている。
先行待ちの企業もまだいくつかある。
発熱から3日後には、派遣元にも連絡を入れ、ご理解いただいた次第だ。
だからせめて、必ず今月中に勝負をつけ、改めて好スタートを切る。
応援してくださる皆や、快く受け入れてくれた方々のためにも、僕自身が胸を張れる人生を歩まないと申し訳が立たないぜ。
とはいえ…
レッド航空でお世話してくださっていた皆さん!!
仲良くしてくださった皆さん!!
突然のお別れとなってしまって、本当に申し訳ございません!!!!
実は本日、僕をメインで指導してくださっていたMr.Yさんがお電話くださり、ことの経緯をお話しできた。
彼には一番お世話になったので、ちゃんと誠意を持ってお話しができたことがせめてもの救いだ。
本当は、面談のときから気にかけてくださっていた同い年のA氏にもご挨拶をしたかったけど…。
(改めて、ありがとうございました!。)
もう、大丈夫だ〜終わりに〜
前記事までに何度か触れてきたけど、2023年は僕史上最も大事な1年だ。
今ここで、本当に大事なことに目を向けられない様なら…
体裁や他者の目、世間体を優先したり、「まあ良いや」と後回しにしたなら、僕の夢は絶対に叶わない。そんな生ぬるい覚悟、生ぬるい行動力では、絶対に届かないくらい高いものを掲げている自負がある。
ま、超速で動いたおかげでかなり順調だ。
ダラダラやってないおかげで、「あんだけやったのにまだ時間がある」という状態で、普通に勉強もできているくらいだ。多少のリスクは覚悟で即断即行動ができたことは、自分を褒めてやろうと思う。
この先がどうなるのかなんてわからないけど、行動した分だけの結果しか返ってこない。
かつての僕みたいに、やたらと複雑に考えすぎて、ウジウジどうでも良いことを気にして動けない人が沢山いる。
だけど、動いて失敗するより「何もしなかったからこそ失うもの」の方が圧倒的に大きいから。
「冷静な判断のための準備」を疎かにして良いって話じゃない。
状況によっては、「焦らずじっくり」が正解の場合もあるのも分かる。
だけど、大抵の場合「そこ悩むところじゃないから」と一蹴できるレベルのことばかりだからさ。
動いた結果としての失敗は、経験や教訓としてプラスになる。
でも、何もしないってことは0じゃなくて、常にマイナスですらあるから。
究極の失敗は動かないことだと、あえて言い切る。
失敗なんていくらでもするし、しても良い。だけどもう二度と、決断と行動が遅すぎたせいで悔やむことがない人生にする。そう決めたんだ。
というわけで、今回も最後まで読んでくれて本当にありがとう!
就活の結果等は追って報告する。
では、また会おう!
〜To be continued〜