階段を登っていくだけ
どうも、Rikiya The Powerです。
The Power Blogも、本記事で70記事目。
(70回もこの調子で更新してきたことがスゴいな…笑。)
今日まで読んでくださっているコアファンなあなたも、今日初めて出会ったというミラクルなあなたも、ありがとう!これからもお付き合いいただけるとうれしいぜ!)
よーし、さっそく近況だ。
前記事でお伝えしたとおり、僕は19日(土)に頭痛を伴う発熱で早退することになった。その後受けたPCR検査の結果は陰性。後は体温が下がって安定するのを待つのみだ。
しかし、24日の夕方になっても体温が37.5℃を下回ることはなかった。
25日の朝はギリギリ37℃を下回ったが、午後にはまた越えてしまった…。
と言いつつ体調はほぼ回復している。ごく僅かな頭痛、若干の消耗感がある程度。
食欲は通常通りある。長かったな、今回も…。
※今日なんて、必殺仕事人Ⅴを観ながら「花屋の政」のカッコ良さに興奮しながら記事を書き、7年越しの敵討ちを果たした新さん(暴れん坊将軍)に感動しながら記事を書いていた…。
録画の消化と作業が捗ってしまったわな。
う〜ん…?仕事サボって時代劇観ながら作業してるわけじゃないぞ笑
発熱のせいで出社できないことは本当さ。
今回の体調不良の原因は不明だけど、例によってオーバーヒートだろうな。
この長引き様、体調の傾向…これまでのダウンとそっくりだ!ほぼ間違いない。
ま、こうやってぶっ倒れてゆっくり考えるたびに、妙に冷静な自分を取り戻せる。
「何を焦ってたんだろう?」ってな(「どうやら空回りしかけていたらしい」と気づいた感じ)。
落ち着きをとり戻したところで、じっくりBu Jo(Bullet Journal)と向き合う。
自分自身のメンテナンスだ。MacBookを開いているときもそうだけど、Bu Joに触れられる状態のときが一番落ち着いていられるかもしれない。
だけど、何もしなければ僕のBu Joは彩られない。
もちろん日記的に毎日記録はするんだけど、ただ「仕事行った」とか「何時に寝た」「何時に起きた」だけじゃ味気ないからな笑。
自分から前向きなアクションを起こしたとか、勉強したとか、こんな良いことがあったとか…そういうことをノートに記録する時が、至福の時でもあるのさ。
些細な失敗やムカつきだって、Bu Joに記してしまえば一旦収まる。
その時の状況と共に記録として残り、未来の僕にとって重要なメッセージとなったのさ。
もう頭の中で引きずる必要はなくなったということ。加えて、優先事項や予定、計画なんかも記してある。ま、ただの日記の域は遥かに超えてるな。Bullet Journalのない人生は考えられない。
ここで、今回のタイトルについて。
僕は記事を書くたびに「もっと自由であるべきだ」みたいなニュアンスを発信してきた。
人それぞれに特有の問題を抱えているだろうし、「その人にとっての」理想や幸せがあって良い。
ただ、「明らかな問題があるのに、解消できない」原因は何だろうか。
つまるところ、納得のいく解決策が手元にないのではないか。
ほとんどの問題について、「しょうがないよね」って慰め合う人は多い。
その場面に遭遇するたびに思う、「本当に?」と。
「今すぐ完全には取り除けない」としても、むしろ本当に何もできなことの方が稀だと思う。
自分が具体的に動こうとしてないだけじゃないかとさえ疑うのさ。
実際、話を聞いていると「前提から問題を捉えちがえている」ことも多々ある。
その人の展開してる持論(憶測)が的外れすぎて、ツッコミを抑えてる場面もある。
(これがたまたま外出先で聞いた雑談レベルなら、耐えきれずにイヤホンから音楽を流す…)。
解決したい問題は「屋根裏に潜んでいるネズミを1匹退治する」なのに、「山奥でヒグマと戦う」かの様な展開になっていたりするんだよな。(ネズミ1匹のためにバズーカ砲でも用意するつもりかね?)
いつの間にかネズミではなく魚の話になっていたり…(本人たちはネズミについて話しているつもりらしい)。
山がどういう場所なのかも知らずに、「とりあえずキャンプセットを用意しよう」みたいな解決策を提示していたりする(問題は屋根裏にいるネズミなんですけど…。)
とまあ、僕にはこれくらい「何の意味もない」会話に聞こえているというものの例えだ。
優れた誰かと比較するより、前に進むことの重要性
例えば、「お金がない」「仕事と家の往復ばかりで人生つまらん」等と考え、「現状を変えよう」と思い立ったとする。
ここでなぜか、いきなり「明日からビジネスを始める」みたいな結論を出そうとするから足踏みをする羽目になる。
もちろん、既に色々アイディアがあるなら、実現するために動いてみるべきだろう。
やらないより何十倍も素晴らしい。
ただ、ビジネスをするにつけ、「今すぐ成功する方法」なんてものはないわな…。
問題の1つは、最初から失敗できない前提の、壮大な起業とかを考えてしまうんだな(後述するけど、自分は何レベの前提なの!?)
まずは1つや2つ、副業レベルでできそうなことがあるかどうかを考えたかい?
やってみた前提だが、例えそれが上手くいかなかくても「万策尽きた」と思わなくて良い。
他の方法をボンヤリでも考えてみたり、情報収集も素直にすれば良い。
(自分なりに)良さそうな方法が思いついたなら、また試せば良い。
簡単なものから試してみたら良いだけ。
万が一怪我をしても、どうせかすり傷程度で済むしな(というより、かすり傷で済むリスクからとろう!笑)。
例えば明日、1,200円くらいの本を購入する。
あなたは階段を1段登った(挑戦レベルが1つ上がった)と思って良い。
結果、「ある部分がよく分からなかった」としても、ヒントとなる情報もいくつか手に入れた(またレベルが上がった!)
さて、何かを失ったのかな?
「肝心なことが分からなかったから1,200円が無駄になった」って!?
別の書籍から更に学ぶ、得た情報をもとに調べてみる、そのジャンルに詳しい人に相談してみる等、「別の選択肢」が現れたじゃないか!中には、本を読まなきゃ現れなかった選択肢だってあるはずだ。レベルアップおめでとう!
時に、誰かにとってはヒョイっと越えられる小さなハードルが、自分にはやけに高く感じることがある。
なぜ飛べるのか分からないくらいに。
理由は単純。「自信がない」あるいは「経験したことがない」からだ。
何度も同じ様な経験をしている人にとっては、「経験済みの、明確にイメージできるもの」だから、自分よりそのことに関する理解も深い。やろうと思ったらすぐにできる「現実的な選択肢」になってるんだな。
(ま、話を聞けるくらい近くに存在するなら、間違いなく相談すべき相手はその人だな。間違っても「同レベくらいの友人」ではない。)
大体さ…既に成功しまっくてる様な「超すごい人」と比較して落ち込む人って何なの?
具体的には何を比べて、どういう思考に陥るの?だってその人、多分Lv.99くらいでしょ(100がMAXとは言ってないぜ!笑)。現在Lv.10の自分は、その人からすぐに実践できることを学んで、まずLv.15を目指して歩き出せば良い。
「自分が」Lv.11になるための、小さな階段を登れば良いだけなんだ。
第一、環境や前提条件が異なる以上、全く同じルートは辿れないしな笑
Lv.15に達する過程で、ちょっとしたトラブルに見舞われたり、小さな達成を味わうことになる。
で、気づいたらLv.15を通り過ぎていて、Lv.19まで達していたりして…。
「あれ?そろそろLv.20じゃん…!」
その頃になって、ふと「Lv.10だった頃の自分」を思い返し、勝手に恥ずかしくなったりするわけだよ。
この頃にはもう、自分の階段を登っていく感覚を掴めていると思う。
だから今度は、もっと軽い足取りで出発できる。
Lv.20、そしてその先のLv25を目指してまた1つ階段を登ろうと片足を上げる。
ま、足を滑らせてLv.14くらいまで転げ落ちることもあるけどね!
でも、Lv.20の手前までは最初の何倍も早く行けるので安心しよう。
自分の成長と共に、持ってる武器も、周囲の仲間も強くなっていく。
Lv.10の時点で「Lv.30になったときの心配事」なんて、いくらしても意味ないからな笑。
常に心配しながら小さな水溜りの前で足踏みし続けている間に、若さと、無限だったはずの可能性が失われていく。
さっさと最初の1歩くらい踏み出した方が、その瞬間から人生が彩られ始めるんだ。マジで。
「もう十分やってみて、ダメだった」って??
バカモン!!散々ころげ落ちてきて、今なお「絶対にやってやる!」とか言って再び階段を登らんとする僕を目の当たりにして出てくるセリフかね…。
そんな簡単で浅いなら、退屈なつまらん世界が待っているなら、挑戦なんて冒険でもロマンでも何でもない。
燦然と輝く世界を想像してワクワクするはずもない。
しかしそうではない!
僕たち挑戦者は、見果てぬ異国の大地、大空、大海原を想像しながら1歩を踏み出すワクワクを知っている。
素晴らしい仲間が集まり、大きな目標に向かっていく喜びの過程を知っている。
誰しも、偉大なる1歩で人生を自分色に染めていく片鱗を感じたことがあるはずなんだ!
もう一度あのワクワクを追いかけようぜ。
さぁ…教えてくれ。まず、何から始める?
千里の道も1歩から。そうだろう?
というわけで、最後まで読んでくれて本当にありがとう!
あなたが踏み出す今日の1歩が、胸躍る壮大なストーリーに続いていくことを信じて。
では、また会おう!
〜To be continued〜