努力の価値が生まれるとき

どうも、Rikiya The Powerです。

採用いただいた赤い航空会社については既に隠しようのないヒントを与えてしまったけど笑、このブログ内ではレッド航空と呼ぶことにしよう!。
レッド航空での初勤務は、本日18日(火)に決まった。
(記事を書いている最中に日付を跨いでしまったので、本日と記している笑。)
つい最近まで19日の予定だったが、手続きや研修の都合で、前日の午後からに前倒しにになった。
働き方はシフト制、出社時間はバラバラの、週5日だ。
「週5日出社」の様な働き方には4ヶ月のブランクがあるけども、前職サンクチュアリの時みたいな「嫌な感じ」はしないんだよな笑。新たな物語の幕開けという気持ちで、何だかワクワクしている。
僕はこの舞台を、「独立までの辛抱」だなんて思っちゃいないさ。
(正直、サンクチュアリの頃はそういう根性の悪い考えもあったけどね笑。)

さて、目まぐるしい挑戦の日々には、ときにフッ…と奇妙なほどの静寂が訪れる瞬間がある。
緊張感ともまた違う、頭がよく働いて、神経が研ぎ澄まされる様な感覚に包まれる。
人生に大波が起こる前触れを察知した様な」ときである。
その意味は時により様々なんだけど、今の僕が感じているものは、「これまでの僕の集大成を試す時がきた」だと思う。
たかが28年間、されど28年間。人生に、「人」に、真剣に向き合い続けてきた。
失敗も教訓も噛み締めて、なお前を向く僕自身が、次の段階にアップデートする前触れが訪れたということなんだ。
前記事時点のアップデートは、「そのための準備が整った」ということだったらしい。

まるで「霊感の様な何か」と思われてしまうかもしれないけども、人智を超えた不思議な力とかじゃないのさ笑
皆それぞれ、自分自身でしか感じることのできない、感覚レベルの話だ。
だけど、大事な試験の前日に感じる様な「人生を左右するかも」といった緊張とは全くの別物だ。
日頃は意識もできない心の奥底で、何かが静かに振動し、「何とは分からないソレ」が少しずつ湧き上がってくるかの様な感覚だ。表現が難しいだけで、分かる人には必ず分かる話だと思う。

こう言う時は時間の進み、何かに取り組む1つ1つが異常に重たいものに感じられる。
(本当はそれまでの時間だって、それくらい重たいものだったのだと気づくときでもある笑。)
ここ数日、そういう感覚が続いている。
これからの毎日がとても重要であることは間違いない。
本編で触れる「具体的なゴール」に近づいていく毎日だと思うと、ウズウズしてくるってもんだぜ!!

具体的なゴール。向かう先は…

無論、プログラミング(Web系)と英語だ!。
やはりこの2つこそ、決して避けて通れないメインテーマだ。

いや、こういう書き出しだと「何を今更!笑」と思われるかもしれないな。
実は「根本から数日かけて考えなおした」結果、「改めてこの2つに戻ってきた」という壮大なストーリーを経ているんだぜ笑。今回も、基本的にはゴールから逆算パターンだけど、まずは興味あることや今取り組んでることを全部書き出した。
で、それぞれ「何のために?」とか「ただの趣味じゃない?」とか、もう1人の自分が超厳しく評価してくる。

世間を見渡しても分かる通り、週5日仕事をしながら別の何かを成し遂げるのは、並大抵のことじゃない。
そんな当たり前の前提がある中、僕は好奇心が暴走レベルに強いらしい。
それはまるで、ちょっと目を離すと行方不明になるワンパク坊主のごとく、気を抜くとすぐに意識がどこかにお散歩し始めてしまう笑。つまり、「たまたまその場で興味が湧いたことを、際限なく掘り下げようとしてしまったりする」ので、キャパを超えることなど息をするくらい容易い!!
納得した上で自分をコントロールするためにも、ちゃんと仕組み化する必要があるというわけだ。
「これでは『桃太郎侍』と『暴れん坊将軍』を観れなくなってしまう!」などと考え込んだ末に、他の娯楽を消した場面もある!。勉強時間を組み込むより頭を使ったぜ…(言っておくけど、ふざけてないぞ!笑)

で、残った項目をそれぞれ4つのカテゴリーに分類した。
・緊急かつ重要なもの(英語は1発でここに入った。)
・緊急だが重要でないもの(低リスクでお金を稼げそうな話が舞い込んできたけど、「理想実現」には関係ないこと等)
・重要だが緊急ではないもの(有意義そうだが別途で時間の捻出が必要なこと。読書など。)
・重要でも緊急でもないもの(例えばSNSのダラ見、その他娯楽の類)
それはそれは慎重〜〜に大検討した!(どこかの検討大臣もドン引きすること間違いなし!笑)。

今回の目標設定には、様々な工夫をしている。
通過点としての小さなゴールは当然として、Bullet Journalを見返す中で見つけた我ながら素晴らしい習性も言語化して組み込んだ(普段、家では紙の本しか読まないのに、電車の移動時間では無意識にKindleを開いていたり)。
で、次は各ゴールを月ごと、日ごとのペース配分として細かく分ける必要があるな。
休日パターンは「完成した」と言えるけど、勤務がある日については仮説段階だ。
ま、その辺は始まってみればわかることだね。まずは仕事に慣れることに重点を置こう。
後は実際にやってみながら調整して、精度を高めるさ。

大学への進学は2025年を想定している。
流石に浪人生の頃に比べたら問題を解くセンスは鈍っているだろうけど、勉強方法やマインドセットはこれまでで格段にアップデートされている。「受験勉強」は明らかに最優先事項ではないので、一旦除外した。
人生を長期的に見て逆算したとき、目の前の仕事以外で「緊急性も重要性も高い」2つがプログラミングと英語だった。
それ以外を加える余白はない笑。
Web系プログラミングについては、「いつまでに、どこまでやるか」も設定してある。
「受験にシフトし始める時期」も決めてあるが、プログラミングをやめたりはしない。
「大事なことを捨てず、目標を達成する」といえど、「全てを同時にこなすのは不可能」だ。『エッセンシャル思考』で学んだ通り、「より少なく、しかしより良く」を追求しつつ、トレードオフを意識した。当然バッファも設けた。
僕の人生を最大化するために、色んなんことを容赦なく消していった。
そこまで厳密に計算されているからこそ、「大検討」と言えるのさ!

フッ…まずは年末をお待ちくださいな。
僕の技の真髄を、見せてさしあげましょう…。

勉強、努力。何のため〜終わりに〜

インターネットが普及し、便利なツールに溢れ、それらの技術は日に日に便利さを増す。
ちょちょっとググれば、情報は簡単に手に入る時代になった。
一見すると、人間が暗記したり、ましてやそのために時間を割くことなんて無駄に思える。
だが、知らないことは検索できない。
検索して運良く良い情報に出会っても、理解できなければ意味がない。
もちろん、社会人が勉強する理由なんて様々で良い。今回は少々壮大なテーマだけど、一意見として少し掘り下げてみようと思う。

まずは、抽象的なルールの勉強は、それ自体(公式とか)の暗記に重きを置くべきじゃない。
ただ公式を丸暗記して、テストの点数を解くことが全てなら、勉強にそこまでの価値はない。
(もちろん、それ自体を面白いと思える場合はそれでも良いのかもしれないけど、多くの場合は「勉強する意味がわからない」「何の役に立つの?」なんて拒絶されることになるだろう。)

僕が数学や物理学を「面白い!」「もっと勉強したい!」と思える様になったのにはキッカケがあった。
最初は「解ける様になったら何となくカッコ良い」から始まっているんだが笑、元々が苦手すぎてどうしてもシンドかった。
だが高校時代のある日、歴史に名を残す数学者たちの熱きエピソード、数学や物理の歴史、「そもそも何をしてるのか」などを知る機会があった。そのとき、素直に「深すぎる…」と胸を打たれてしまったのである。
その後も、予備校の先生が面白おかしく語ってくれたエピソードなども、僕の数学・物理への興味を掻き立ててくれた。
・「ピタゴラスの定理」が誕生する前の、平方根に関するエピソード。
・ドイツの天才物理学者・数学者であるガウスの、幾何学や微分積分に関するエピソード。
・天才物理学者、アイザック・ニュートンの名言。純粋に、「勉強を積み重ねた先の景色を見てみたい」と思わされた(終盤で紹介するぞ!)。
もう1つの要因は、「超絶基礎」から勉強し直したことで、1つ1つの言葉や記号の意味を理解できるようになって、「説明できるくらい分かる&解ける」というプチ成功体験を積み重ねることで、ハマっていった。結果、グングン成績も伸びた。
(中学時代、数学が何より一番苦手だったんだけどね笑)
数学や物理学を嫌う方々も、それを確立した人のエピソードとか実際に何の役に立っているのかを知って、1つ1つのルールを今一度学ぶ機会さえあれば、克服できると思うんだ…(「そんな暇ねぇよ」ってのは百も承知だ笑)。

英語も、勘所を抑えたら「そこまで難しくない」と思えるようになって、終いには仕事でも使うようになった(数学同様、大の苦手だった)。英語の発音の法則や癖を知り、意識しながら単語やイディオムを覚えていったら、何も聞き取れなかったはずの呪文が少しずつ聞き取れるようになっていった。その後文法の勉強に戻ったら「確かにそうだ!」と納得できて、スッと入ってくる様になった。
歴史も、個人的に「海外の人に自国の歴史を説明できないってヤバくね?」と思ったことと、「侍がいなくなった理由が明治維新にある」と知ったことがきっかけで、「もっと学びたい」と思えたんだ。
そんな風に、キッカケは何でも良いと思うんだ。
だけど、重要なことは覚えることのその先の、「深みを心で感じる」ことだと思う。

また、勉強は「自分の意見を持つ」ためにも「世界を理解する材料集め」にも役に立つ。
そのテーマに関する知識や基礎理解もなしに、まともな意見はでてこない。
ただ、実際に知らないというよりも「頭の引き出しから言葉が出てこない」とか「どう伝えたら良いか分からない」ことの方が問題になることもある。上手く考えをまとめたり、覚えるのが得意じゃないと思っている人は、論理的思考力や要約について学んでみよう。
そのテーマについての基礎が一通り分かってきたところで、自分の頭で考えてみる(あるいは誰かに説明してみる)。すると、闇雲に机にかじりついているよりよっぽど「自分の言葉」として理解することができる。そうすると、より深い学習に行っても気持ちよく晋ことができる様になる。

ここまでの段階を経ていれば、その道に詳しい人の話を聞いても、置いてけぼりをくらうことはなくなるだろうさ笑
基礎とは、「簡単」という意味じゃない。何でも、基礎(基本)が一番大切だ。これについては、あなたが「いや、それはね…」と思わず説明したくなった場面を思い出してみよう。基本が身についていないであろう相手の、「ズレた発言」に気づきやすいのは、少なくとも自分が「例外すらおさえているレベルで基本を理解している」話題が多かったはずだ。

社会に出て「勉強が役に立たない」ということは(「活かそうとしていない」のはもちろん、)その当人が「役に立たない」と思い込んでいることにも原因があると考えている(実際には学問のおかげでこの文明も生活レベルも発達してきた…)。
革新や発明まではいかなくとも、素早く最適解を出すセンスなんかは後付けで磨くことができる。
それも、正しい知識やその運用方法を身につけることでなされる技ではないか。
(「役に立たない」と思う人の多くは、実際に生活で役にたった経験、実感が少なすぎるという問題もあるんだろうけど…。)
とはいえ、この先役に立つかどうかも分からない、本当に面白くないと思ってることを続けさせられるのは、ただの苦行だ。そんな状態で、ご褒美も用意せずにただ「やれ」と言われても無理があるわな笑。残る手段は恐怖で支配することくらいか…?(お金だけを理由にするつまらない仕事も、これと大して変わらないかもしれないな…。)
何だかんだ書いたけど、僕が警鐘を鳴らしたいことは「基本的なことくらい知っておかないと、自力で考えられなくなるよ」ってこと。学校の勉強だけでなく、社会生活のあらゆることに言えることだと思う。
と、あまり掘り下げると無限に文量を割いてしまいそうなので、そろそろ終盤に向かおうと思う笑

17世紀に生きた天才物理学者、アイザック・ニュートンはこう言った。
私が少し先を見通せているとしたら、巨人の肩に乗っているだけのことさ。」と。
先人達が何十年、何百年とかけて確立し、積み上げてきた理論や知識。歴史として語り継がれるエピソード。
それらを素直に学び、利用させていただき、今を生きる自分がリレーのバトンを持って先頭を走るんだな。
僕は学者や研究者ではないし、小説家でもない。部門は何であれ、ノーベル賞をとる可能性は限りなく低いだろう。
だけど、先人達が築いたこの社会のことを知り、支える一員となり、発展に貢献することはできる。なんと素晴らしいことではないか。
これまでも、過去から学び、活かすことで、学問も文明も発達してきた。自分達はドップリとその恩恵に浸かっておきながら、知らぬ存ぜぬでシラを切るとは、いささか傲慢だとは思わないかね。
(そこまで背負う必要もないと思うけど笑。)
何も知らない状態で平然と生きていられるのも、今日までに創り上げられてきた高度な仕組みが、面倒ごとを半自動的に処理してくれるからだよね。こうしている今も、誰かが「より深みを知るために」研究し、「より良い社会を実現するために」応用し…と挑戦しているはずだ。
あらゆるサービスも、エンターテインメントも、時代や技術と共に進化してきた。
全部、誰かがやってくれたから、それを享受できる。
そういうことを自分ごととして捉えることができたなら、学ばせてもらえること、何かを正しく努力できることのありがたみだって分かってくるんじゃないかと思うんだ。

最後に、僕が思う努力の価値について記そう。
「やりたいけどできない。」そう思ったとき初めて、努力する本当の価値が生まれる。
例えば、「もっと勉強しておけば良かった」と嘆くとき、その人にとって初めて真剣に勉強する価値が生まれたって考えるのさ。僕の場合は、高校入学当時に「面白い!」と目覚めた。「今更やっても…」なんて投げ出していたら、今日の僕はない。誰でも、「もう遅い」なんてことはないんだ!これからの人生において、今日が一番若い。
今の僕は、豊かな人生とは何かを追求しながら、ネットやAIを操る側になるつもりで学んでいる。
既にレジェンド級のすごい人が沢山存在することなんて、関係ないぜ。
最後に自分の人生を肯定してやれるのは、自分だけなのだから。思いたったが吉日さ。

繰り返すけども、何でも表面的な知識ばかりなぞるのではなく、その背景や、心を学ぶつもりで勉強するのさ。
目の前のテキストに興味を持てなければ、気分転換がてら関連情報を調べてみると良い。
「へぇ〜!」って感心した後に、もう一度表面的なことに戻ってみよう。
無味乾燥だったつまらない知識が、誰かの人生の乗った大きな産物に生まれ変わることもある。
文化的な背景なんかを知れば、血の通った知恵に変わることもある。
日々の些細な問題を皮切りに、今日から真剣に学び始めてみることを提案して、本記事を締めようか。

というわけで、最後まで読んでくれて本当にありがとう!
心の呼ぶ方に向かうと誓ったとき、人生がオリジナルの冒険小説に変わる。
僕はそれを、挑戦と呼ぶ。勉強も努力も、人生の大冒険の貴重な1ページだぜ!
挑戦から生まれる物語は、下手な小説よりよっぽど面白い。
では、また会おう!

〜To be continued〜

H O M E

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